Eklingji & Nagda :ウダイプルから北へ22kmにある小さなEklingii村には、幾つかの古代に建てられた寺院があります。ここにあるシヴァ寺院は元々734年に建てられたもので、壁に囲まれた寺院地区には、ピラミッド型の屋根の下に柱がふんだんに使用されたホールや、黒大理石製のシヴァ神のイメージを模ったものなどがあります。 Nagdaには3つの古い寺院がありますが、廃墟のようではあるけれども興味深い建築様式を呈しているAdbudjiジャイナ教寺院、幾つかのエロティックな彫像を含む精巧な構成と彫刻が素晴らしいSas Bahu寺院 などは特に見ものです。
Haldighati :歴史的に重要な場所が40km離れたところにあります。ウダイ=シンの息子であり英雄のラナ=プラタップとムガル帝国のアクバル皇帝軍が1576年に歴史的な戦いを行なった場所がここHaldighatiなのです。現在そこにはラナ=プラタップを祈念して建てられた、白大理石製の柱が美しい廟が残っています。また、ラナ=プラタップの愛馬、Chetakに捧げられた廟も見逃せません。
Nathdwara :ウダイプルから48kmほど北に行くと、18世紀に建てられたSri Nathji寺院があり、これはヴァイシャナヴィテ廟の中でも最も崇敬される寺院です。
黒い石によるヴィシュヌ神のイメージは、1699年にムガル帝国のアウラングゼーブ皇帝の破壊的な衝動から守るために、マトゥーラの街から持って来られたもので、現在では非常に人気のある巡礼の地となっています。
またNathwaraの街は、ヴィシュヌ神がイメージとして初めて持ち込まれた街として、布地に宗教的なペインティングが施されたピチュワイペインティングが名産品となっています。
ウダイプルから48kmほど南東に行ったところには、17世紀にゴムティ川をせき止めてダム建設を行ったマハラナのジャイ=シンによって人工的に造られたジャイサマンド湖がありますが、この湖は現在でもアジア地域の中で最も大きな人造湖のひとつに数えられています。
湖の湖畔にはたくさんの美しい大理石の廟が並び、ウダイプルの王妃たちのための夏の宮殿も見ることができます。ここにはまた、野生動物サンクチュアリがあり、代表的なものとしてはヒョウやイノシシ、鹿、アンテロープ、マングースなどのほか、数多くの渡り鳥などが生息しているといわれています。
チットールガル
丘の上に横たわるようにして建つ城砦はまるで、ラージプート族たちが一世を風靡した時代の理想やロマンチックさの縮図であるともいえるでしょう。
この城砦は、標高180mの、周辺の平原から不意に突き出したように見える丘の上に経ち、280ヘクタールもの広さを誇っています。1568年まで、チットールの町もこの丘の上の城砦の城壁内にあったのですが、現在は丘から西へ下っていくようにして新市街が広がっており、町を流れる川が鉄道のある地域と町のそのほかの地域とを分断した形になっています。
伝説によると、マハーバーラタ叙述詩に出てくるパンダヴァ兄弟のひとり、ブヒムがこの城砦の基礎の建築を手がけたと言われています。長い歴史の中で3度、強靭な敵に攻め入られたことがあり、その際にチットールの領主はラージプート流の英雄的な死、つまりサフランで染め上げた殉死のための美しいローブに身をまとった男たちは、馬に乗って城砦を下り、指定の場所で死を遂げ、女子供たちは、その男たちの火葬をする際に生きたまま積みまきにされて死んでいったといわれています。生よりも名誉が一番重要だった時代なのです。宮殿、塔、貯水池や寺院など、チットールの見どころはすべて城砦内にあります。ラナ=カンブハ宮殿には厩舎とシヴァ神を祭る寺院があります。
Fateh Prakash 宮殿には小さな博物館があり、この近くにはインド=アーリア建築様式が活かされた、ラナ=カンブハ時代に名を馳せた神秘作詩家、Meera Baiの寺院があります。中央にあずまやを持つ池の隣にはパドミニの宮殿があり、伝説によるとAla-ud-din Khiljiがパドミニに、宮殿の鏡に映った自分の姿を見てもよいと言ったところ、パドミニはここの池にあるあずまやにやってきて座り、池の水面に映る自分の姿を見たといわれています。彼女を自分のものにしようとしたAla-us-sinはチットールを破壊へと導いていくのですが、パドミニはそれを避けるために自殺を図ったといわれています。
deogarhこの宮殿の反対側には8世紀に太陽の寺院として建てられ、その後カーリー神に奉げる寺院になったKalika Mata寺院があります。外側がヒンドゥ彫像で装飾された勝利の門(Jaya Stambha)は、1440年に起こったマルワ王国のMahmud Khilijiにラナ=カンブハが勝利した記念に建てられたもので、9階建てになっていて37mもの高さがあります。
この門の近くにあるのがチットールがメワル王国の首都だった時代に、チットールのラナたちが埋葬されたというMahasatiです。これらサティは自分たちの夫が死んだときに、生きたまま一緒に火葬された女性たちを追悼祈念したものです。ここを抜けてがけのあたりに行くと、深い貯水池のGaumukh 貯水所があります。がけには牛の口をかたどった泉から貯水池に水が蓄えられていくことからその名がついたといわれています。この場所からはパドミニとその同胞たちが自殺を図ったとされる洞窟につながっています。
チットールのもうひとつの有名な門は22mの高さを誇る名声の門(Kirti Stamba)で、最初のジャイナ教伝道師、Adinathに捧げるためにジャイナ教の商人が建てたものです。こちらの門のほうが勝利の門よりも昔に建てられたといわれており、そこには多くのジャイナ教伝送師の裸体彫像が彫りこまれています。